「城塞(中)」(司馬遼太郎)家康と浪人衆に注目

 

城塞 (中巻) (新潮文庫)

城塞 (中巻) (新潮文庫)

 

 いよいよ大坂冬の陣である。「城塞(中)」で際立ったのがやはり徳川家康、そして次に真田幸村。軍師黒田官兵衛の元部下だったものの、息子の長政と喧嘩して浪人となった後藤又兵衛(またべい)は、豊臣秀頼からは浪人衆の中では最も信頼されていたようであるが、特にフィーチャーされていなかったのでここでは割愛。秀吉の未亡人、淀殿もヒステリーぶりが目立つが、飽きてきたのでこれも省略。詳しくは本書を読んでみてください。

 

さて家康。秀頼を潰しにかかるのであるが、すでに彼は(確か)71歳。当時としては異常なほどの高齢で、なぜ故に高齢にも関わらず戦場で自ら采配を振るわないといけないかというと、息子で将軍の秀忠が天下を治めるほどの器ではないから。自身が存命のうちに秀頼を殺さねば、家康が死んだ後、秀忠では天下が乱れるとの目算があった。

 

そして40万もの軍を大坂城に集結させる。対する豊臣勢は浪人を中心に10万。関ヶ原の戦いで東軍の家康に破れ、土地を追われたものがほとんどだという。そもそも大阪城攻略にそんな人数必要ないではないかと思うが、大阪城が当時東洋一、世界でも有数の巨城と言われたうえに家康が攻城戦を苦手にしていたこと、家康の求心力を天下に示す必要があったとのことだ。

 

で豊臣勢は浪人衆の士気はすこぶる高いのであるが、意思決定が淀殿中心に女衆が握っており、政治や外交、戦略にも無論疎い。いくら後藤又兵衛真田幸村が妙案を上に上げても却下されるのが読んでいてやりきれない。ただ、彼ら浪人衆の奮闘もあり、城を守り切るのであるが、外交で負ける。講和を結んだものの、あとで家康に騙され、大坂城の総堀を埋まられ、あらま、もはや城は丸裸同然、篭城を諦め野外戦で決するしかなくなってしまったのだ。野外戦といえば家康の得意分野である。

 

さて、ざっと簡単に振り返ったが、下巻で迎えるは大坂夏の陣。読んだら幸村の活躍(結局書いてないので)とともに書きます。