【小説】03 サッカー人生、改めサッカーバカ

1年強でC5からC1へステップアップした。長いようで短い。しかしC1生活も長いようで短かった。何試合プレーしただろうか。フォワードで登録されていたが、13歳となり現地オランダ人との対格差が徐々に出てきて、それを強烈に感じさせる試合があった。相手はスパルタというプロクラブのジュニアユースチームの一軍。黒人選手を数人擁していた強豪だった。少なくともアマチームの光輝から見ればだが。

 

これまでふたり程度なら個人技で相手を抜くことができたが、全くと言っていいほど通用しなかった。スピード、パワー、瞬発力……。光輝をマークした上背のある黒人選手はあらゆる点で上回っていた。仕事ができない、もどかしい前半が終わった。光輝は前半のみでの交代を命ぜられる。試合は1−6で大敗。

 

と同時に試合後、C2への降格をコーチから告げられる。直哉はC1に残ったまま。この瞬間がふたりの分岐点となるとは露知らずに。

 

その後、光輝はC2とC1を行き来した。一方の直哉は安定してC1、しかもスタメンを確保し続けた。相変わらず言葉はできないが、社交的な性格も手伝いチームメイトからの信頼は厚いようだ。

 

時は経ちB(14〜15歳)のカテゴリーに移る歳になっていた。日本でいえば中学3年生から高校一年生のクラスだ。光輝は何とかB1入りを果たすことができた。そして直哉と言えばロッテルダム市のアマチュア選手権で活躍、そして優勝に貢献したこともあり、地元のプロクラブであるフェイエノールトのユースから声がかかっていた。ふたりは別々のクラブでプレーすることになった。

 

光輝は嫉妬した。

フェイエに入れるなんていいよなー。羨ましいよ」

「まだこれからだから何とも言えねえよ」

「まあな……。とりあえずはステップを踏んでるし、良いことだよ。それに比べて俺はアマチュアクラブだし」

「光輝も頑張ればチャンスはいつか来るからさ」

 

悔しさを噛み締めながらも光輝はその後、死に物狂いで頑張った。言葉も勉強してコミュニケーションも取るように努めた。白人選手は総じてそうでもなかったが、トルコ系や黒人の仲間がよくしてくれたのは助かった。彼らとはソウルメイト、とまではいかなかったが、同じ有色人種として特別なものを感じるものがあった。

 

そして気がつけば光輝は17歳、直哉は16歳に。ふたりの「格差」はさらに広がっていった。

 

 

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サッカークラブ経営の新潮流、かも

プロスポーツクラブのオーナーは起業家がほどんどでしょう。ただ資産を有しているだけでなく、彼らは経営のプロでもあります。買収したクラブを新たな軌道に乗せる、権利がある人材と言えるでしょう。サッカー界では近年、アラブ系だけでなくアジア系企業家の勢いが凄まじく、インテルのオーナーにインドネジア人、ミラン買収を目論む新オーナー候補もタイ人といった具合に、世界の世相、勢力図の変遷がサッカー界にも反映されているようです。

 

ただ本田圭祐がオーストリア3部クラブを、元イタリア代表のマルディー二がNASL(米2部リーグ)のクラブを買収、またベッカムMLSのクラブ設立に動いたりと元・現役選手による動きも少数派ながらあります。ただ彼らは経営のプロでないため、恐らくその道のプロと共同経営、あるいはパートナーシップ契約を結ぶのかもしれません。推測ですが。。

 

で経営といえばマーケティングは無論、不可欠。国内市場が飽和状態にあり、海外市場に収益を求めて新たなアクションを起こすクラブもあります。近年Jリーグ東南アジアでのマーケティングに力を入れているようですが、実際目に見える効果は日本に住んでいる限り、あまりまだ効果を感じられません。

 

興味深いのは金満クラブと揶揄されるマンチェスター・シティの所有会社が横浜Fマリノス資本提携をしたり、MLBにニューヨーシティFCを設立したりと開拓の余地のあるアジア、北米市場に進出していることです。例えばの話ですが、マンチェスターミランでシティのユニホームを売ろうとしても、現地イタリア人が買うのはインテルミランのユニホームしかなさそうですよね。市場として飽和状態です。狙うのであれば当然、サッカー後進国ながら移民が多く、景気良好の北米、あるいは発展目覚ましいアジアを狙うわけです。

 

驚きべきはマンチェスター・シティのようなビッグクラブだけでなく、スペインのラージョバジェカーノという中小クラブまでもが、このような動きを見せていることです。ラージョの本拠地はマドリードでこの都市には誰もが知るレアルマドリーアトレティコマドリーも存在します。ひとつの都市に3クラブがしのぎを削るという過当競争?なのかどうか不明ですが、ラージョは米国に活路を見いだしました。

 

ラージョはビジネスとして米国NASL(実質2部)に系列チームを設立します。2016年から参戦とのこと。当然ながら1部のMLSを狙っているのでしょう。メキシコのチバスがMLSチバスUSAを設立という動きも過去にありました。当初はメキシコ人選手で固めていたようですが、成績が芳しくなく、メンバーの大幅刷新を図りました。が、メキシコ人がいなくてはチバスではないと不評で今ではMLSから姿を消しています。

 

 

当然ながら系列チームを作ったところで成功の保証は何もありませんが、このラージョという中小クラブが北米に進出するのは何かサッカー界までもが変わろうとしているサインなのかしれません。否、すでに変わっていると見るべきなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【小説】02 サッカー人生

絶望的なレベルの低さ

 

12ー13歳のカテゴリはC(14-15歳はB、16ー17歳はA)と呼ばれ、1軍から5軍まである。光輝と直哉が配属されたのは最もレベルの低いC5である。恐る恐る初日の練習に参加した。どれだけレベルが高いのかと胸を躍らせながら。

 

そこで驚愕の事実が発覚した。あまりにも5軍のレベルが低く過ぎなのである。スローインすらまともにできない。日本人の自分が模範的なスローインの実践を強いられるという、想定外の「アクシデント」つきだ。先が思いやれると思いつつ、週末のリーグ戦に参戦。システムは4−3−3で光輝は右サイドバック、直哉は左サイドバックを命じられた。

 

試合は5−0で圧勝。自陣の低い位置でボールを持つと、そのまま攻め上がり4人、5人と抜いてそのままゴール。GK出身の自分がである。無論、フィールドプレーヤーとしての能力は直哉のほうが勝るので、彼も独走態勢からゴールを3度も決めた。何と言うか、まったくもって充実度がなく、腰が砕けてしまったようだ。

 

しかしアマチュアといえどもそこは競争社会。実力さえ認められれば上のクラスに昇格することができるという。入団から半年余り経過した時であろうか。光輝と直哉はC4へ。そこでもふたりは活躍しC3へステップアッップ。このクラスでも実績を求められC2行きを命ぜられた。ついに2軍まで来たと感慨深げであったが、ようやく光輝にとっては適当なレベルでプレーできる機会を与えられたと言える。一方の直哉は物足りないようで、ディフェンダーとしての高い能力をここでも遺憾なく発揮することになる。

 

C2でも半年余りプレーした時であろうか。光輝はディフェンダーのポジションが嫌になりフォワードでのプレーをコーチに志願した。しかしオランダ語はもちろんのこと、英語ですら自らの意志を伝えることはできない。そこで父親に英語での表現方法を教えてもらい、丸暗記してそのフレーズで直訴。オウムのように15分ほど同じフレーズを繰り返し、ようやくコーチに理解してもらえた。この兄弟ふたりは語学力は皆無ながらも、あまり現地の言葉を習得したいという、このあたりの向上心を持ち合わせていなかった。これが後々、チームメイトから不信感を買うことになるとは露知らずに……。

 

さてC2での試合である。光輝は後半から出場しハットトリックを達成。3−2での逆転勝利に貢献したのである。この活躍がC1のコーチに届いたらしく、遂に1軍から招集がかかったのである。直哉にももちろん声がかかった。

 

ある意味、ようやくふたりはオランダで「普通」のレベルでプレーできるようなったのである。そしてこれまでとは別世界の風景を目の当たりにすることになるのであった。

「城塞(中)」(司馬遼太郎)家康と浪人衆に注目

 

城塞 (中巻) (新潮文庫)

城塞 (中巻) (新潮文庫)

 

 いよいよ大坂冬の陣である。「城塞(中)」で際立ったのがやはり徳川家康、そして次に真田幸村。軍師黒田官兵衛の元部下だったものの、息子の長政と喧嘩して浪人となった後藤又兵衛(またべい)は、豊臣秀頼からは浪人衆の中では最も信頼されていたようであるが、特にフィーチャーされていなかったのでここでは割愛。秀吉の未亡人、淀殿もヒステリーぶりが目立つが、飽きてきたのでこれも省略。詳しくは本書を読んでみてください。

 

さて家康。秀頼を潰しにかかるのであるが、すでに彼は(確か)71歳。当時としては異常なほどの高齢で、なぜ故に高齢にも関わらず戦場で自ら采配を振るわないといけないかというと、息子で将軍の秀忠が天下を治めるほどの器ではないから。自身が存命のうちに秀頼を殺さねば、家康が死んだ後、秀忠では天下が乱れるとの目算があった。

 

そして40万もの軍を大坂城に集結させる。対する豊臣勢は浪人を中心に10万。関ヶ原の戦いで東軍の家康に破れ、土地を追われたものがほとんどだという。そもそも大阪城攻略にそんな人数必要ないではないかと思うが、大阪城が当時東洋一、世界でも有数の巨城と言われたうえに家康が攻城戦を苦手にしていたこと、家康の求心力を天下に示す必要があったとのことだ。

 

で豊臣勢は浪人衆の士気はすこぶる高いのであるが、意思決定が淀殿中心に女衆が握っており、政治や外交、戦略にも無論疎い。いくら後藤又兵衛真田幸村が妙案を上に上げても却下されるのが読んでいてやりきれない。ただ、彼ら浪人衆の奮闘もあり、城を守り切るのであるが、外交で負ける。講和を結んだものの、あとで家康に騙され、大坂城の総堀を埋まられ、あらま、もはや城は丸裸同然、篭城を諦め野外戦で決するしかなくなってしまったのだ。野外戦といえば家康の得意分野である。

 

さて、ざっと簡単に振り返ったが、下巻で迎えるは大坂夏の陣。読んだら幸村の活躍(結局書いてないので)とともに書きます。

 

 

 

 

「真田三代(下)」(火坂雅志) 真田日本一の兵(ひのもといちのつわもの)、幸村の凄さとは何か。

 

真田三代 下 (文春文庫)

真田三代 下 (文春文庫)

 

 

主を次々と替え、卑怯者として名高い真田昌幸(まさゆき)は秀吉に従った上杉に次男の幸村を人質に送った。上杉の傘下に入ったからである。そこで幸村は上杉景勝の名参謀、直江兼続の屋敷に入ることになったのが、彼との出会いが幸村の思想に十分過ぎるほどの影響を与えた。

 

上杉は義を重んじる家風で知られる。義とは何か、という疑問もあるのだが、端的に言ってしまえば、昌幸のような裏切りや、戦国時代に横行していた理不尽な言動もせず、筋を通すということになるのだろうか。

 

だからこそ、真田家の教えと真逆の価値観を持つ兼続に、幸村は驚き、感銘を受けた。そして、自身の義、とは何か、ということを以後、追求していくことになる。それは大阪冬の陣と夏の陣で体現されることになるのだが、それについては後述する。

 

さて、幸村の凄さとはどこにあるのだろうか。父、昌幸からは「才は私より上」と言わしめるほどだ。昌幸は小勢力ながらも二度も徳川軍を上田合戦で破り、その名を日本中に知らしめた。その昌幸が認めるほどなのであるから、相当な才能の持ち主であることが分かるだろう。

 

しかしながら、父のような全国区の知名度が全くなかったため、いくら優れた策を持っていようと、大阪冬の陣や夏の陣では豊臣幹部に聞く耳を持たれなかったのが残念でならない。関ヶ原の戦い後、敗戦の将となった昌幸と幸村は家康から高野山に送られてしまい、そこで昌幸は命を落とすことになるのだが、幸村はその昌幸から徳川撃破の秘伝の策を仕込まれた。が、既述の通り、大阪の陣でその策の主張は通ることはなかった。

 

大阪の冬の陣ではNHK大河ドラマのタイトルにもなっている「真田丸」の出丸を築き、神懸かり的な戦いを披露してくれている。あと一歩で家康の首、という大仕事を成し遂げそうにもなった。

幸村には昌幸ほどの政治力、処世術はないかもしれない。しかしながら、戦場においては真田日本一の兵そのものであった。そして、負け戦と分かっていても徳川を討ち果たす、という自身が信じる義を貫き通した男でもあった。

【戦国時代】「真田三代」(上)火坂雅史 弱者の生き残り策

 

真田三代 上 (文春文庫)

真田三代 上 (文春文庫)

 

 

弱者の必勝法――。

と冒頭から格好つけてみたが、信濃の真田家は正にこの言葉を地で行く、戦国武将。真田昌幸(まさゆき)の父、幸村(ゆきむら)の祖父にあたる幸隆(ゆきたか)は土地を追われ、無一文で他家でメシを食らうニートのような存在であった。

とはいえ志は高く、いずれ真田家を復活させると鼻息荒く、甲斐の武田の家臣となり、徐々に実績を残していく。幸隆は人の心がどこにあるかを読み、利で人を動かす、という当時なら当たり前のように聞こえることだが、実際、人は利に弱く、そのスキを突く手法にて地位を確保していった。

その信条をより強固に実践したのが昌幸と言えるかもしれない。武田家に人質に出されたゆえにか、外から真田家を見て、また内から他家の武田を見ているだけに、現実主義者として育つ。主君を武田、織田、北条と次々と代えていったのも、その証左であろう。

まだ20代の頃、駿河の、若き日の家康と交渉事で邂逅しているのも見逃せない。

当時、信長に仕えながらも、独立した大名として地歩を占める、家康のその姿は将来の昌幸のあるべきものを映しているようにも思える。

本書ではこのように淡々と真田家の活躍が描かれているのだが、記述の通り、隆幸、昌幸に共通するのはしたたかな戦術家であるという点だ。

そして昌幸の子、幸村、「真田日本一の兵」(にのもといちのつわもの)にその伝統は引き継がれ、「真田三代」はクライマックスを迎えるのであろう。下巻が実に楽しみである。

若干8歳にして孫子の兵法をそらんじた幸村。これには幸隆も驚かされたが、日本一の兵、であることを下巻で披露してくれるはずだ。

2016年の大河ドラマ真田丸である。これを観る前に、予備知識として本書を読むのもいいかもしれない。

【書評/戦国時代】墨染めの鎧(上/下)

 

墨染の鎧〈上〉 (文春文庫)

墨染の鎧〈上〉 (文春文庫)

 

 

2014年、NHK大河ドラマ「軍師勘兵衛」が好評を博した。タイトル通り、主役は軍師の黒田勘兵衛、後の黒田如水であるが、ドラマの中で一際輝きを放った人物のひとりに毛利家に仕えた外交僧、安国寺恵瓊がいた。

本書では毛利に滅ぼされた名門、安芸武田家の生まれとして登場するが(この件は下巻の終盤を見ていただくと面白い)、毛利の外交僧、そして恩師でもある、恵心に見初められ、弟子入り。外交僧としての道を歩み始める。

大河ドラマでは紹介されていなかった故に楽しめたのであるが、抜群の頭脳の持ち主であり、それ故、機知に富み、人心掌握、慧眼の持ち主でもあったことについても触れている。

先見の明でいえば信長の自滅を言い当て、秀吉の天下を見越し、常に先を行っていた。が、皮肉にも関ヶ原では東軍・徳川につかず、西軍・秀頼、光成の傘下に入り、天下分け目の決戦を仕掛けたのは大いなる誤りであったことは歴史が証明している。

とはいえ、毛利の勢力を拡大させ、戦国時代の一大勢力に押し上げたのは安国寺恵瓊抜きにして語れない。詳しくは本書を見て楽しんで頂きたいと思う。

家康、信長、秀吉関連の本も無論良いが、なかなかスポットライトが当たらない人物、しかも毛利の、秀逸な外交僧に絞ったテーマの本を読むのも、群雄割拠の戦国時代を楽しむポイントだろう。