【小説】サッカー人生

何てことだ。弟の直哉の試合をはるばる日本から取材に来たのに試合に出場しないとは。昨シーズンまではスタメンを確保していたが、今シーズンに入ってからは試合に出たり、出なかったりだ。しかし、ここ数試合は何度かアシストも決めて好調を維持していて、現地メディアからの評価は高かったから、試合に出場すると見込んでいた。しかし、その予想が外れたのである。

直哉のポジションは右サイドバック。シーズンオフにクラブが同じポジションのブラジル人選手を補強した。そのラフィーニャと熾烈なポジション争いを繰り広げている真っ只中でのオランダ一部リーグ優勝決定戦だったのだ。

 試合終了後、記者の光輝は会見に向かうこともなく即座に記者席を立ち、喫煙所に向かいながら煙草を深く吸い始めた。いらいらがつのってきた。あのときのことが頭をよぎる。

直哉のプロデビューから遅れること3年、念願叶ってアマチュアクラブから3部のセミプロのクラブに移籍することができた。3部のクラブといってもオランダ第二の都市に本拠地を置くクラブだからそれなりに観客は集まるし、熱狂的なファンも多く、1300人収容と小規模ながらもスタジアムの雰囲気は最高だった。サポーターの声援、仲間の掛け声、芝生の心地良い臭いを感じながらのプレーを喜びとしていた。あの快感だけは一生忘れることはできないだろう。

シーズンが始まって半年くらい経ったときだっただろか。ユニフォームを引っ張られながらも巨漢と競りながらボールを追いかけていたファーストタッチで取り返しのつかない事故を起こしてしまった。少しでも相手より先に触ろうと足を伸ばしたのだが、ボールの上に足が乗っかってしまい、ヒザが逆方向に曲がってしまったのだ。我ながら間抜けだと思いながらも、激痛に耐えられず悲鳴を上げてしまった。

診断の結果は前十字靭帯断裂――。手術をし、リハビリを重ねればプレーできるかもしれないが、怪我をする前と同じようにプレーすることはできないと医者に告げられた。これから2部、そして1部へとステップアップを目論んでいたが、それも無理だと悟った。失意の中、仕事の当てもなかったが、帰国する道を嫌々ながらも選んだのだ。

だからこそというべきか、一部でプレーする直哉には嫉妬を抱きながらも、怪我で選手生活を棒に振った自分の分も頑張って欲しいと大きな期待を寄せていた。仕事でオランダまで来たとはいえ、内心は純粋に直哉がピッチで躍動する姿を見たかったのだ。

光輝はタクシーに乗り込みスキポール空港に直行した。成田空港到着後は、その足で帰社した。

 

オランダ

 

 小学校卒業間近の3学期のことだ。いつものどおり、サッカーチームでの練習を終え、20時頃帰宅すると、母親から「お父さんの仕事でオランダに行くことになったの」と聞かされた。

「オランダ? どこの国?」

一通り、母親から説明を受けた。オランダといえばヨーロッパ、ヨーロッパといえばサッカーの本場。ヨーロッパならどこでもいい。日本にはないプロリーグがあるのだ。サッカー以外のことは何も考えなかったというか、考える土台となるような知識は何も持ち合わせていなかった。サッカー以外は何も知らない。もちろん、学校には行っていたが、勉強はしなかった。自分にとって一日のメインといえば学校ではなく、16時から18時くらいまでの鬼監督の下で行う、サッカーの練習だ。飽きもせず毎日その繰り返しである。一学年下の直哉も同じサッカーチームに入っていたので、自分と同じ生活を送っていた。直哉も勉強はしていなかった。

「オランダのサッカーはどれほどレベルが高いんだろう?」

 サッカー小僧が本場でプレーできることに、どれだけワクワクしたことだろうか。自分のレベルは高くないことは知っていた。全国大会に出場することはおろか、神奈川県予選の決勝トーナメントベスト16で終わってしまうほどだ。無論、横浜市の選抜チームにも選ばれることなどなかった。飛び級もなかった。ただ、横浜市の大会では3位入賞し、そこではゴールキーパーとして活躍することはできたので、ある程度はオランダでもできると踏んでいた。

 一方、ディフェンダーだった直哉はというと、飛び級で一学年上のチーム、つまり自分と同じチームでずっとプレーしてきた。もし、小学校6年まで日本でプレーしていれば市の選抜チームに選ばれていたかもしれない、という思いはあった。身長は自分と同じくらいだが、やたらと空中戦に強く、キック力もあり、なおかつリーダーシップもあり、これが一学年下かと思わせるほどのタフさが彼にはあったからだ。

家族と引っ越しの準備をし、久しぶりの飛行機に乗り込み、アンカレッジ経由でアムステルダムにあるスキポール空港に飛んだ。

「間もなく着陸」とのアナウンスの後、小さな窓から外を眺めると眼下に見たこともない景色が広がる。とにかく緑が一面に広がっており、芝だらけのように見えた。空港に到着し、車で1時間のところにあるロッテルダムに向かう道中も牧場ばかりで田舎と、これまた未経験の景色に目を奪われたものだが、数日後、地元のサッカークラブに行ったときにはさらに驚いた。

プロのクラブでもないのに天然芝のグラウンドが5面もあるのだ。もうこれはサッカー小僧にはたまらない。垂涎ものである。

さて、施設見学を終えた後は、クラブ幹部らしき人物と、父親、そして自分との三者面談だ。通訳は父親がした。

「どこのポジションをやりたい?」

ゴールキーパーをやっていたのでキーパーをやりたいです」

 中年のオランダ人は苦笑した。

「まず君はオランダ語を話すことができない。どうやって味方に指示を出すんだ? キーパーはコミュニケーションをとらなくてはならない。そして、背が低い。キーパーには向いていない。サイドバックをやってみてはどうか?」

 唖然。まさかの、キーパー不向き発言。そして、やりたくもないサイドバック

 確かに背は高くない。でも、同年代の日本人のなかでは平均的な身長だ。オランダ語を話せないといっても、キーパーなんて単語でしか指示を出さないだろう。覚えればいいじゃん。それに、キーパーに一番大事なのはキャッチしたり、パンチングしたり、フィードしたりといったプレーでしょ!? とかなり強く思いはしたものの、口には出せず……。

 通訳代わりの父親とオランダ人が話をまとめたらしく、最後に「じゃあ、サイドバックで」と話が完結した。

「オランダに来て、早々これかよ」

光輝のオランダでのサッカーライフがこうして幕を開けた。